櫻井節子夫人講演会の講演内容(2017年11月19日)

11月初旬、櫻井夫人はアメリカ5都市(シアトル、サンフランシスコ、シカゴ、ニューヨーク、ニュージャージー)の祝福家庭コミュニティーに招待され、このようにして立ち上がった経緯と今こそ祝福家庭が顯進様への誤解を解き一つになろうと真摯な訴えを話して周りました。帰国後の11月19日には「顯進様に見る希望」と題した講演会を東京で行いました。その時に櫻井夫人が語られた内容を写真と共に紹介します。

11月3日シアトルにて

 

はじめに
皆さん、こんにちは。本当に月日が経つのは早いもの。私、もう今年、79歳になります。来年は80歳。驚きますね。皆様も私の記憶では、うら若き乙女でした。しかし、こうして拝見すると、今や押しも押されもしない貫禄十分なお姿に、その間のご苦労が偲ばれます。私、信仰歴のほうも、今年の秋で満57年になりました。私はこの教会が好きでしたし、今日まで誇りをもって生きて参りました。そして、入教したことを一度も後悔したことも、途中で出て行こうとしたこともありません。また、これまで、分派問題とか霊的問題などに引っかかったこともなく、いわゆる教会で言う「問題」を犯したこともありませんでした。むしろいつも問題処理係を担当してきたように思います。

そんな私が今、日本教会では「最大の問題児」になってしまっております。「櫻井夫人を交えての話し合いを禁じる」、「誘いがあったり、話し合いの場を見つけたら、即刻、本部まで通告するように」という、まるで共産圏の通告文か何かのような公文が出されたりしております。ですから、今日、皆様とのこういう場も、日本教会から見れば、「とんでもない集会」ということになるんでしょうか。では、何故、そんな私が今のような立場に立つようになったのか。今日は限られた短い時間ですが、この間、私が体験したこと、そして今々感じていること等を、簡単にまとめてお話させて頂きたいと思います。

11月5日サンフランシスコ

 

(1)これまでの経緯

① 顕進様の姿と真の家庭の混乱
私はもともと顕進様をよく知っている立場ではありませんでした。今まで個人的な接点は全くなかったからです。ただ、98年以降、二世圏を中心に、世界で活躍されるご様子を拝見しながら、若き日のお父様を彷彿とさせられる、希望溢れる若き指導者として期待し、好感をもって見つめてきました。ところが、基元節に向かう摂理の最絶頂期にあった2009年、「顕進様がお父様の命に背いて財産を奪い、独自の活動を展開されるようになった」という情報に触れ、大きな驚きを禁じ得ませんでした。しかし、それ以上に目を疑い、深刻な思いにならざるを得なかったのは、その後起こってきた、教会組織を挙げての顕進様批判キャンペーンでした。顕進様にどれほどの事情があったにせよ、アベルの子女様を「堕落したアダム」として排斥し、糾弾するあり様は、行き過ぎ、やり過ぎ以外の何物でもなく、極めて理解し難いものでした。しかもそれが“ご父母様の指示だった”というなら、一体、どんな報告を、どのように説明をすればそうなるのか、と、当時、とても理解に苦しみました。そうこうしているうちに、真の家庭内の対立、分裂はさらに激化し、法廷闘争が始まったり、外部のメディアがそれを報道したり、考えられないような事態も起こってきました。皆様!真の家庭は「神様の創造理想」の核心であり、私たちの信仰生活の中心です。私たちが日々、取り組んでいる祝福運動も、氏族メシヤ活動も、考えてみれば、それは皆、「真の家庭」を拡大させていく運動であって、その中心である屋台骨がグラついていては、神の御旨が地上に定着できる訳がありません。また、このような状態をサタンが讒訴しない訳もないでしょう。そんな中、この混乱が収拾されないまま、2012年9月、真のお父様が聖和されました。私も頭の中が真っ白になり、ひどい虚脱感のうちに、時が過ぎて行ったことを覚えています。

② 次男との議論と気付き
さて、それから約2年が過ぎた2014年夏、韓国で家庭をもっていた次男が急遽、日本に帰国しました。神山先生との出会いが切っ掛けとなり、シアトルで顕進様に会ってきたというのです。彼はそれまで、顕進様が創設されたサービス・フォー・ピースで仕事をしていました。しかし、顕進様の一件でとても悩み、「自分は中立の立場に立って真実を追求するんだ」といって、職場を辞めて飛び出した立場でした。そんな彼が、打って変わって爽やかな表情で、「顕進様は昔から何一つ変わっておられなかった!」と、目を輝かせながら語り始めたのです。彼としても、私としても、もともとは、多くの方々が思っておられるように、「どのような事情があったとしても、それでも、顕進様は父母様の願いに応え、父母様のもとに残っているべきであった」と考えていました。しかし、様々な状況を知ってみると、これはただ「顕進様個人がお父様の指示に従えるかどうか」といった単純な問題ではなく、「神様の摂理」の命運がかかった、極めて重大な決断であったことが、後で分かりました。勿論、私も簡単にそのような結論を出した訳ではありませんでした。時折、訪ねて来る次男と、何度、議論を重ねたかしれませんし、時には帰宅した長男を加え、激論になったこともありました。詳細は省きますが、その中で、私が得た答えは、顕進様は「父母様に背を向け、資産を奪った」のではなく、むしろ、「父母様の伝統を守り、摂理的基盤を守ろうとした」ということでした。また、この問題は父母様だけ、真の家庭だけで解決できるものではなく、私たち祝福家庭全体にその5%の責任があることを知りました。なぜなら、私たちカインの子女の代表である指導者たちが、アベルの子女様に正しく侍ることができなかったことに、問題の発端があったと知ったからです。この辺りについては後ほど触れますが、この頃から、私は「私たち祝福家庭が果たすべき責任とは何なのだろうか」をしきりに考えさせられるようになりました。次男と議論するようになってから、早2年が過ぎようとしていた頃の話です。

③ 神山先生のお見舞いとシアトルでの集会
2016年8月。闘病中の神山先生が「もう長くない」と言われ、「私に会いたがったいる」という知らせを受けて、急遽、次男に付き添ってもらって渡米することになりました。病床にありながら、最後まで父母様の愛と御言を後世に残そうと、最後の力を振り絞ってカメラの前に立たれる先生の姿を拝見しながら、同じ三位基台として、み旨を愛する同志として、熱いものを感じました。当初、神山家で暫く滞在する予定でしたが、ふいに次男が「お母さん、せっかくアメリカに来ているんだから、シアトルの顕進様の集会に参加して行かない?」と話してきました。後で分かりましたが、彼は初めからそれを願い、毎日、私のために精誠条件を立てていたんだそうです。当時の私は、まだ顕進様を心情的に理解していた訳ではありませんでしたが、特に「断る理由」もありませんでした。私は日ごろ、責任者の方々に、「顕進様に対する教会の見解はあまりにも一方的過ぎる。正しい判断をするなら、『見るな、聞くな、触れる』ではなく、まず責任者の方々が『見て、聞いて、触れて』くださらないといけない」と主張してきました。しかし、誰もお会いしに行きませんでした。私はリーダーでも、責任者でもありませんし、こんな78歳のおばあちゃんですが、日本の一先輩家庭として、「その間の御無礼のお詫びがしたい」、ただそれだけの動機でシアトルまで足を運びました。
私が顕進様側の集会に参加するのはその時が初めてでしたが、顕進様からは「歓迎」されるどころが、いきなり厳しい御言が注がれました。「母国は重大な責任があるのに何をしているのか!」と。普通でしたらビックリするところかもしれませんが、「私は申し訳なかった」という思いがあったため、その言葉を素直に受け止めることができたように思います。その後、昼食時、顕進様のおられるテーブルに呼ばれ、ひと時、和動する時間があったのですが、私はそこで率直に「今日は何だか丸太か何かでお尻をぶっ叩かれたような思いでした」と言いました。すると、顕進様が「これくらいの丸太か?」とジャスチャーされるので、「いいえ、もっとこんなです」とオーバーアクションすると、顕進様はとても楽しそうに大笑いされ、とてもくつろいだ雰囲気になりました。シアトルではそれだけの出会いであり、私自身、まだ分からないことも多々ありましたが、この時の顕進様の真剣なお姿が頭から離れず、「何か神様が私に願うことがあるのだろうか」という思いが深まっていきました。

④ お母様に対する危惧と最初の書簡
帰国後、シアトルに行ったことを知られた会長から「勝手な行動は慎んで欲しい」とご注意を受けた際、逆に「会長こそ、まず顕進様に会いに行ってください。責任者の方々こそ、この課題を解決するために最善の努力をすべきです」と何度も申し上げました。一方で、次男からは、しきりに、「気付いた人が声をあげるしかないじゃないか?日本の祝福家庭の中から、顕進様を証しする声が出る必要がある」と言われましたが、私にはそこまで大胆な行動に出る思いにはなれませんでした。第一、私は目立った行動が大嫌いでしたし、78歳にもなったおばあちゃんがしゃしゃり出る場でもないと考えていました。そんな私の背中を押したのは、実は、別の出来事だったのです。
私はお父様の聖和以降、お一人で孤独な立場にありながらも、み旨の先頭に立って歩まれるお母様をお支えしたい、という思いで過ごしていました。しかし、2014年の頃から、家庭連合で語られる御言に少々、違和感を覚えることが多くなってきていました。翌年のXマス、責任者クラスの前で語られた御言も、「キリスト教2000年の歴史は独り娘を迎えるためにあった」「独り子が独り娘を教育した訳ではない」「私によってお父様は勝利できた」。。そして最後は「独り娘を崇めて生きなさい」でした。さらに昨年の10月、龍平で行われた指導者集会での御言は、さらにそのことを強調される内容で、何か「お父様が消えてしまっている」ような感覚を覚えました。統一運動が以前と違う方向に向かいつつあるような違和感を覚えたのです。その頃、顕進様が抱かれる危機意識を、私も本気で感じ始めたのかもしれません。勝利された真の父母様に、守られるべきはずの真の家庭に、このような深刻な課題が生じたのは、「祝福家庭の基台が崩れたからだ」と感じました。これをもう一度、深い悔い改めをもって立て直さないといけないじゃないか、そんな思いに駆られ、敬拝条件を立て、断食条件を立て、ひたすら祈るようになりました。
そうした中、11月末、全国の祝福家庭に宛てた、最初の書簡を発信するに至ったのです。知人十数名に配信した書簡は瞬く間に全世界に広がり、教会内に大きな波紋を起こす結果となりました。しかし、あの内容は決して、お母様批判や教会への批判の動機で書いたものではありませんでした。私たちがもう一度、悔い改め、アベルの子女様と一つになることによって、ご父母様を支え、この難局を越えていこう、という呼びかけだったのです。

⑤ 謹慎処分と会長との激論
その後、この書簡が原因で、私は即、本部より「謹慎」を言い渡されました。公的集会や会合での講話は一切禁止。本部で特別に開かれるようになった教理担当者との月1回の勉強会だけが、唯一許された発言の場となりました。しかし、そんな折、今年2017年1月末、顕進様が韓国で「神の日」をはじめ、数日間の行事を主管される、という知らせが入りました。それは顕進様がその間の沈黙と祈りの期間を越え、新たな出発をされるための場であり、顕進様はここへ先輩家庭や二世たちを呼んでおられると聞いた時、心が動きました。しかし、ただでさえ謹慎の身、行動を起こせば、もはや教会に居られなくなるかもしれませんし、だからと言って、ただ「見るな、聞くな、触れるな」のルールに従っていては、誰も顕進様の真意を知ることはできないでしょう。その間も多くの責任者の方々から、顕進様側の問題を聞かされましたが、実際にそれを語る方のうち、誰一人、今の顯進様に直接会い、お話をしてきた人はいませんでした。イエス様も言われました。「我が語る言葉を聞き、我がなす業を見て信ぜよ」と。私は顕進様が何を語り、今後、何を成そうとされるのかを見て、触れて、判断する必要があると強く感じました。無論、責任者がこれを許す訳がありません。渡韓前日、私は、私を止めに来られた会長と、3時間半にわたる激論を交わすことになりました。私が最終的に、そうしたあらゆる反対を押し切ってまで渡韓した理由は、「行かなければ何も見えて来ない!」と思ったからであり、また、祈る中で、「行け!」と押し出す天の強い導きを感じたからでした。

⑥ 韓国で見た顕進様の姿
訪韓し、私が参加したのは真の神の日と愛勝日の3日間でしたが、まず感じたことは、顕進様の語られる内容が一貫して「原理」であられ、全く違和感を覚えませんでした。ことごとくが原理的、心情的であられ、それだけで、顯進様の心情世界の深さを思い知らされました。本心が喜び、深い感銘を覚えたのです。最も印象に残ったことは、姜賢實先生のことに触れられた時の顯進様のお姿でした。「父母様とあんなに長く共におられた方が、そんなに簡単にお母様を見捨てられるのか、そんなにも簡単に真の家庭を捨てられるのか」と泣かれたお姿でした。そして、「私は絶対にお母様を諦めない、私は真の家庭を諦めない」と語られる姿に、私は顯進様の真実を見たような思いがしました。そして、言われました。「中途半端にお母様を批判して、お母様を辱めてはならない。誰かを批判する必要もない。ただ私を信じてついて来てほしい。私は必ずお母様を救い、真の家庭の本来の姿を取り戻す」と。人には霊性があり、真実とは「魂」で感じるものですね。私がこれまで分派や霊的問題に引っかかったことがなかったのは、彼らが語る言葉が原理から外れているばかりか、その背後の動機が真の愛ではなく、自身の愛の減少感や恨みであることに気付いていたからです。しかし、私が顯進様の中に見たものは、教会で言われ続けて来た顯進様像とは無縁のものでした。顯進様はどちらかというと、強くて、外的で、恐れを知らない人というイメージがあったかも知れません。しかし私が見たものは、始終、目頭を熱くされ、泣かれ、涙をぬぐわれる、内的で心情的なお姿でした。また天を思い、父母様を愛し、真の家庭と祝福家庭に責任を持とうとされる、一貫した天の孝子としての顯進様のお姿でした。時には優しく、また時には厳しく語られる姿を見つめながら、迫害期にあったこの7、8年間、この方は本当に祝福家庭の為に祈って来られたのだということを肌身で感じさせられました。と同時に、私たちはこの方を、何の事情も知ろうとしないまま、打ち続けてしまったのだ、という何とも言えない心苦しさと罪の意識を覚えました。そして最後、涙で祈られた祈りがどれほど心情的で切実な祈りであったか知れません。ここに神様が共におられるという実感を覚えずにはいられませんでした。また、私はその期間、内から込み上げてくるような懐かしさをも覚えました。真のお父様の香りを感じさせられたからです。このような感覚を覚えたのは久しぶりのことでした。

⑦ フィリピン大会で見た希望
そういう訳で、韓国では内部向けの集会を、フィリピンでは外部に向けた大会を行うということで、この二つの行事を見れば、顯進様が今日まで何を成して来られたのかが分かるというのが、私が聞いていた説明でした。そのため、私は韓国行きを決めた時、同時にフィリピン大会までは見てみなければ、と心に決めていました。無論、責任者の方々が良い顔をするはずがありませんでしたが、私はさらに、この機会に、是非、国家メシアなり、先輩家庭なり、巡回師の方々なり、分別のある方を一緒にフィリピンに送って頂きたいとお願いをしました。反対しているだけでは、何の事実も見えてこないからです。
フィリピン大会の重要なテーマは、南北統一による世界平和でした。韓半島の分断は国際社会によってもたらされたものなので、これを解決するにも、国際社会の協力が不可欠だとして、アジアでもう一つのキリスト教国家であり、韓国動乱を共に戦った国、古くから韓国と親交のあったフィリピンを足場として、南北統一に向けた一大イベントを開催するようになったと聞きました。私が参加したのは3500名の有識者を集めた国際会議(GPC)、韓国から有名歌手グループを招請して行われたコンサート、及び一万名の青年たちを集めたユースサミットの3つでした。私が何よりも驚いたのは、3500名のゲストたちが皆、自ら会費を払って会議に参加し、自分たちの会議という自負心を持って集まって来ているという事でした。親のような歳格好の元大統領たち、大実業家、有名な学者たちまで、顯進様に敬意を払っていたことです。先生を慕う生徒たちのように、フロアに顯進様が姿を表わすと、すぐ周りを取り囲み、親しく談笑し合う熱いその情景を見ながら、「ああ、顯進様はこういう方々を基盤として、本気でお父様の夢であった天一国実現を成そうとしておられるんだ」と思いました。あれほどの凄まじい非難や迫害の真っ只中にあって黙々と歩まれ、これだけの基盤を築き上げて来られたのです。真のお父様がこれまで数多くの組織体(PWPA,WFWP, UPF…etc.)を興し、平和世界を実現しようとして来られた夢が、今こうして蕾をつけ、花をつけ、まさに一斉に咲きほころうとしているのです。私たちが認めようと認めまいと、社会の人々は、この方こそ南北統一のための歩みの先頭に立ち、世界平和への道を切り拓いていかれるに相違ない、という夢と期待を寄せているのです。南北統一はお父様の生涯の悲願でした。もし、お父様がこの場におられ、これをご覧になったとしたら、どんなに喜ばれるだろうか、と思いました。 顯進様はひたすら今日まで沈黙を守られ、自らの立場を代弁する代わりに、黙々と摂理的基盤を築き、それらを天に捧げることによって、神様と父母様に対するご自身の変わらぬ愛と忠誠を示し、貶められた父母様の名を高めようと、懸命に闘ってこられたのだ、ということがよく分かりました。

以上、さっと、今日に至るまで、私が辿ってきた経緯をお話しました。

11月8日シカゴ

 

(2)顕進様を見つめる観点

次にもう少し突っ込んで、「私が顕進様を見つめる際のポイント」について、3点くらいにしぼってお話してみたいと思います。

① 神様が摂理の中心
第一に、まず「神様、父母様をどう見つめるか」ということが重要だと思っています。「神様中心」なのか「父母様中心」なのか…、ということ。それが実は、会長との3時間半にわたる激論のポイントだったように思います。多くの指導者の方々は「父母様中心」だと考えるため、「顕進様は父母様の指示に従わなかった」「父母様が顕進様に付いて行くなと言われた」というお話をよくします。しかし、お父様は「私が摂理の中心だ」とは教えられませんでした。「神様が摂理の中心だ」と教えられたのです。顕進様も同じです。神様を中心に真の父母様に侍る、という考えであって、それが「四位基台」のあの図であると思います。多くの方々が「父母様を信じ、愛するなら、父母様の指示に従いなさい」と言いますが、顕進様は違います。「父母様を信じ、愛するなら、父母様が成そうとした神様の願い、神様の摂理に生きなさい」と言われます。顕進様は確かに、お父様の指示を額面通りには従わなかったところがあったと思います。しかし、お父様が成されようとされる「神の摂理」については、それがたとえどんなに厳しく困難な要請であったとしても、絶対的に服従しようとされたお方でした。
例えば、乗馬選手としてオリンピックに出場されたこともその一つだったと思います。私も最近、詳しく聞きましたが、88年のソウルオリンピックを控えたごく数年前、お父様は突然、顕進様に乗馬の選手としてオリンピックに出場しなさいと言われたそうです。それは、実際には、顕進様のやりたいことでもなく、そもそも突然、オリンピックに出なさいと言われて、「はい」と言える訳もありません。私たちだったら「やれない理由」を考えるか、表向き、「頑張ります」と答えて何もしないかのどちらかではないでしょうか。しかし、顕進様は、それが東西冷戦の時代、真の父母様を中心に、カイン圏・アベル圏を一つにしようという神の摂理であり、ここに真の家庭が参加することに摂理的な意味があると悟られて、全ての学業を中断して投入されたのです。私は最近になって、いろいろ知りました。この時ばかりではない、お父様が子女様方に「UTSに行くように」とご指示された、それに対しても、従順に従われたのは顕進様お一人でした。また、南米などにおける大変な難問題などが発生すると、お父様は決まって、顕進様を派遣。命がけで解決して来られた。顕進様ほど、お父様のご指示に対して、徹底して服従して来られた方はいない、というお話。
こういう訳で、お父様の摂理的的な指示は「絶対的」であって、どんな困難があろうと、失敗しようと、変わらないものであるに違いありません。しかし、その「方法論」についての指示は、実は「相対的」な場合が多いのです。お父様も地の事情、つまり担当者の報告や周囲の情報等を踏まえて判断されるからです。そうした意味では、ああもこうも言われるのです。報告によって指示が変わったことだって、よくありました。私、思い出しますが、日本における世界日報発刊時の出来事です。1975年、日本で世界日報発刊の際、お父様は「この素晴らしい新聞を広報するために都内の各家庭に1カ月間、無料配布せよ」と指示されました。しかし、日本人は神経質で、気持ち悪がり、2~3日で大騒ぎ、本社にクレームTELが殺到しました。当時、私の主人は東京第1地区の地区長でした。お父様の指示通りに行うことが逆効果になるなら、「私が責任をもつ」と言って、現場に即した方法をとりました。しかし、ある人から、お父様の指示通りにやっていない、と攻撃されたそうです。後日、お父様の前でその話が出た時、「君たち、現場をよく知っているじゃないか。目的を果たす上で不都合なら、より良くやればいいじゃないか」と言われたと言います。私も本部で長らく巡回室長や家庭局長をしていたため、そういった体験はいくつかあります。お父様が現状を誤って認識しておられたりする時、そのまま事を進めたのではなく、「違います、お父様!現状はこうです!」と、叱られながらも、必死に取りなしたことも多くありました。「お父様から言われたからやる」「実際は良い結果にならないと思っても言われた通りに進める」というのは、本当の意味で、責任ある態度とは言えないのではないか。大切なのは「目的」を実現することであり、私たちも創意工夫をこらして、最善を尽くすことによって、「神の摂理」を成就することができると私は思うのです。
顕進様という方は、徹頭徹尾、神様のみ旨を中心に生きる方であり、神様の摂理を中心に、父母様に侍ろうとされる方です。み旨のためにはお父様にも直言される、それだけみ旨に真剣であられたからです。それを分からないと、平面的、自分たち次元の見つめ方になり、顕進様の本意を見誤ってしまうに違いありません。

② 真の家庭三代圏理想の観点
第二に、「真の家庭の三代圏」という観点です。神様の創造理想である「真の家庭」とは、神様―父母様―子女様の「三代」が立って初めて地上に定着します。神様のみ旨は、父母様一代でなく、子女様まで受け継がれなければ、完成も定着もないのです。その父母様の伝統と勝利圏を受け継ぐ立場こそが「長子」ということになります。お父様は98年に顕進様を公的に立てながら、「三代を見ることができなかったのが堕落であった」「神様、父母様にとって三代が立ったことは天宙的事件だ」と喜ばれました。この時、顕進様が縦的三代をもって公的に立っておられなければ、真の家庭は定着できず、2001年の神様王権即位式も、天一国時代宣布も、後天時代宣布も行えなかったことでしょう。
また、父母様を中心とした見るなら、子女様、そしてお孫様までが天の伝統に立たなければ、三代圏理想が定着し得ません。そのように見る時、今、真の父母様の伝統を受け継ぎ、その過去の勝利圏を現在、及び未来につなぐことのできる「長子」が立てるか否かが極めて重要なポイントなのです。今、神の摂理に立ち、父母様の勝利圏と伝統がどこに結実しているかを考えてみる時、それは顕進様家庭を置いて他にないでしょう。お孫様を見ても、顕進様家庭にとても希望を感じます。
私たちにとって、お母様を愛してお支えすることはとても大切なことです。しかし、今、家庭連合がただ「父母様だけ」を見つめていては、真の家庭の三代圏が立ちません。過去の勝利圏が現在と未来につながらないからです。一方で、サンクチュアリ教会のように、お母様を否定してしまっては、同じく三代圏が立ちません。過去なくして、現在も未来もないからです。
父母様の本当の勝利と定着は、長子の家庭を立てることであり、本来の母親としての一番の使命は、お父様の使命を受け継ぐ長子を立てることであって、お母様がその使命を果たせるようにお助けすることが、私たち祝福家庭の本来的な務めだと思うのです。

③ カインの子女としての責任
第三の観点は、「アベルの責任・カインの責任」という観点です。真の家庭と祝福家庭の関係性が「アベルの子女」「カインの子女」の関係であることは皆様、既にご存知の通りです。私たちは真の父母様なしには祝福家庭にはなれませんでした。さらに、真の子女様なくして、父母様の前に子女となることはできないのです。子女様の中に宿った真の愛と生命と血統とを、双子の弟妹として譲り受けた立場が祝福家庭です。ですから、直系の子女様方は年齢に関係なく、私たちの兄であり、姉なのです。それ故、私たちは直系のお兄様、お姉様たちから本然の心情圏を学び、その世界を受け継いでこそ、真の子女として成長して行けるのですね。
だからと言って、私は何も、真の子女様方が全てにおいて完璧な方で、非の打ちどころのない方々などと思っている訳ではありません。欠点は癖もおありでしょう。しかし、もし足りない部分があったとすれば、それを補って支えて行こうとするのがカインの子女の使命だと思います。かつては当たり前のように言われていました。「アベルの子女をお守りする」のがカインの子女の使命である、と。また、カインの子女はそのようにアベルの子女を愛することを通じて、父母様の子女となる資格を得て行けるのだと。かつて、修練会で、お父様の御言を解説された周藤先生も、このように書いておられます。「祝福家庭はカインの子女として、全存在をかけてもアベルの子女を守らなければならない…。カインの子女がこの責任を果たせない時には、アベルの子女が犠牲となり、ひいては既に勝利された真の父母に対してさえ、サタンは打って来るようになる(成約摂理解説P272)」その通りになってしまったということでしょうか?よく子女様はああだ、こうだ、顕進様はこういう欠点があると指摘される方がいますが、欠点があることが問題なのではなく、それを補って行こうとする私たちの姿勢があるかないかが問題なのではないでしょうか。もし仮に父母様が子女様を誤解するようなことがあったなら、それを仲介し、誤解を解こうとするのがカインの子女としての道理です。しかし、この間の私たち、特にある指導者の方々は、誤解を解こうとするどころか、逆のことをしてしまいました。むしろ、アベルの子女を父母様に讒訴し、一緒に打ち続けてきたのではないでしょうか?今もそういう状況が続いています。子女様に侍るよりも、自分たちが父母様から覚えられ、愛されようとする、子女としての私たちの未熟さが、こんな状況を作り出してしまったのではないでしょうか?
もし本当に、このような状況に至ったのが父母様と子女様間の心情問題だけであったなら、そこで解決して頂く以外にないでしょう。しかし、どう考えても、私たちカインの子女たちによる責任の欠如が、今日のこの大きな困難を作り出してしまったと思われてなりません。それ故、私たちは今までの在り方、姿勢を心から悔い改めて、今からでも、正しく侍っていくべきではないでしょうか?子女の基台ができてこそ、初めて、父母も定着することができるからです。
今や、神様のみ旨も分からなかった、外のカイン圏の人々が、顕進様を中心に集い始めています。顯進様を通じて神様のみ旨が何であり、真の父母様がどなたであるかについて気付き始めています。しかしながら、父母様に最も近い内側のカイン圏、子女様方の実の弟妹の位置にある祝福家庭には、そういった顯進様の歩みの真実が隠されてしまっているのです。ですから、今まだ一握りのメンバーですが、顕進様の事実を知った者たちがまず、そのための声を挙げ、私たち自らの責任・使命として、統一家にこの真実を伝えていく努力をしていきたい、そう思って、今回、このような場に立たせて頂きました。

私の家庭も、今まだ闘いの真っ只中にありますが、この間、様々な難しい問題に立ち向かいながらも、息子たちの良き協助を得て、力を合わせて乗り越えて参りました。また、そうすることのできる、我が家の幸せ、喜びを噛みしめながら、幾度、神様に感謝したかしれません。私は来年はもう80歳。あと何年、健康で過ごせるか分かりませんが、今後は今までもう一つ推進できなかった自らの家庭教会活動を真心を込めて進めながら、もう一つ、組織に関係なく、み旨の中で犠牲になり、多くの傷と痛みを抱える沢山の祝福家庭のために、少しでもお役に立ちたいと考えています。そして、祝福家庭各々が本来の元気な姿を回復し、力一杯、世界摂理に貢献できるように、微力ながらお手伝いさせて頂きたいと考えています。

草創期を歩み、真の父母様から溢れんばかりの愛と恩恵を与えられた者として、今々できることを成しながら父母様を証しし、顕進様のご家庭を証ししながら、再び全てが一つになる日のために、力一杯、歩んで参りたいと思います。今日は難しい中、ご参席いただき、本当にありがとうございました。

11月19日東京

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